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物語を綴る~生きる喜びを拾いながら~

おひとり様シニアのひとり言。

私の中の根強い偏見

Category日記
私は偏見や差別意識はない方だと思う。
ご近所の知的障害の青年とも普通に接しているし、
LGBTの友人もいた。
在日の方とも、部落の方とも、誰とも変わらない接し方をしている。

そんな私にも、実は強い男尊女卑の部分がある。

どこでそれを自覚するかと言うと、読書である。
私の尊敬する作家・詩人は全員男性。
まず、読む本が男性の書いたものばかりだ。

中学3年のときシャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」とマーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ」は一応読んだ。
読んだけれど、とくに感動することも、作家を好きになることもなく。
日本文学は、もともと読んだ本が少ないが、女性の書いたものはなんとゼロ。
樋口一葉さえ読んでいないという偏向ぶりだ。

当時熱中して読んだのは、ヘルマン・ヘッセ、ライナー・マリア・リルケ、ロマン・ロラン、トーマスマン、アンドレ・ジッド、etc.
気に入った著者の代表作はほとんど読むという感じで読書をしてきた。
大学に入って、初めて シモーヌ・ド・ボーヴォワールを読んだ。気に入ってというより、教養としてである。

もうひとりのシモーヌ、シモーヌ・ベイユは魅かれて読んだ。
振り返ると、魅かれて読んだ女性は、ベイユだけである(^^;)

そうそう、この頃、サガンの「悲しみよこんにちは」も読むだけは読んだ。
女子には人気のある作家だったけど、私の肌には合わなかった。

なぜか。
私は自分の女性という性を受け入れがたかったからである。

母は3人姉妹の末っ子だった私を3歳まで男の子として育てた。
坊ちゃん刈りに半ズボンといういでたちで、「僕」と呼び、「ぼく」と言わせた。

それほど、母は3人目に男の子が欲しかったのだ。
「男の子が欲しかったのに女の子だった(がっかりした)」という話は耳にタコができるほど聞かされた。
母に気に入られたかった子どもの私は、男の子になりたい、男の子のように生きようと思って生きていた。

その呪縛は、私が第一子の長男を産むまで続いた。

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