2017_05
01
(Mon)22:42

自分としてはぐんと成長しているんだけど 

中学2年のときだったかしら、3年のときだったかしら、
通信簿に「超内向性」と書かれた私。

内向的な性格だということは自認していたけれど、
「超」を付けられたことはいささかショックでした。

あれからおよそ55年経ち、
自分としては随分と神経も図太くなり、人と対してもドキマギしなくなったつもりですが、
昨日のように大勢の中で(ほとんどが子どもでしたが)、やり取りをするのは疲れました。

不思議なんですが、自己紹介や朝礼で目標を話すなど、
一方的に発信するだけの場面は大丈夫なんですよ。

会話のキャッチボールや話しながら動くというダブルタスクが難しいのです。
そういう困難に直面すると、
やっぱり私は発達障害のどこかに位置するのではないかとちらっと考えます。

かりに発達障害のどこかに位置していると判明しても、いまさらなんですけどね。
正しくカテゴライズされたとしても、私が私であることに変わりがあるわけではないし、
それにもう、これからはひたすら老いの坂道を転がるだけですから。

かっての私といまの私を比べるなら、目覚ましく成長、進歩しているんですけどね。
比べるときって、意識しないと周りの他者と比べてしまいがちです。
幼いときから社交的な人からしたら、私はおそろしく不器用なのだろうと。

なんの話からそうなったのかは忘れましたが、
近くのよく行くお店の店員さんに言われました。
「お客さま(私のこと)は、繊細でいらっしゃいますものね!」
「私、繊細に見えます?」と聞いたら、あっさりと、「ええ、そう見えますよ」。

そうなんだ。外側からみるとやっぱり線が細いんだ。
私としては心臓に毛も生えて、随分と図太いババアになったもんだと思っているんだけどなぁ。

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4 Comments

わすれ草  

フェリシアさん、発達の凸凹は誰にもあると思うのですよ。
私にもたぶんある、自分が気づいていないだけで。

長女は今の時代に育てば、緘黙児と診断される発達障害だったでしょう。
度を越した恥ずかしがり屋で困ったものだと思っていました。
ですから何の支援もないままに大人になり、周りとギクシャクしながら中年になりました。

発達障害。性格や障害ではなくて、誰にでもある発達の凸凹、と誰からも理解されるようになればいいなぁ。

2017/05/02 (Tue) 09:37 | EDIT | REPLY |   

遠音  

甘え癖

小5と小6を受け持った先生が 最後に成績表(通信簿)に書いてくれた言葉です。
「グズグズは小さい時の甘え癖か」チエッという舌打ちが聞こえてきそうです。
その先生の顔も名前も決して忘れない。
教師は時に子どもに大きな傷痕を残す。

フェリシアさん ダイジョウブよ!今日まであなたらしく生きてきた。
(私もね)
そのままでいいのよ。(私もね)自己肯定しましょうよv-237

2017/05/02 (Tue) 15:56 | EDIT | REPLY |   

風のフェリシア  

Re: そそ、凸凹は誰にもあるけど

わすれ草さん、この世の人間だれしも発達の凸凹あるのでしょうね。
その凸凹の程度問題なのだと思います。

墨の濃淡のようなグラデーションのある濃さ以上になると、
「発達障害」と診断されるのでしょう。

その昔は「発達障害」という概念がなかったので、
濃い凸凹の人も、淡~い凸凹の人もみんな一緒くたになんとか社会でやっていた。
昔の方が社会の器が大きかったような気も致します。

娘さん(私もですが)、頑張っていらっしゃいますね!

2017/05/02 (Tue) 21:50 | REPLY |   

風のフェリシア  

Re: 私らしく生きてきたことは確か。

確かに、世界に一人しかいない私が(遠音さんも)、
この私にしか残せない足跡を残して(遠音さんも)歩んできました。

生きることが「自分の物語を綴る」ことであるならば、
かけがえのないことですね!

ありのままの~♫

> 教師は時に子どもに大きな傷痕を残す。
↑本当にそうですよね。一言の重さ。

2017/05/02 (Tue) 21:59 | REPLY |   

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