読書は必要か?

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読書時間0分の大学生が約5割に上るという調査を受けて、
新聞の投稿欄に「読書は必要?」という大学生の投稿が掲載されました。

「(読書は)役に立つかもだが、読書をしなくても生きていく上で問題はないのではないか」
「もし、読書をしなければいけない確固たる理由があるのなら教えていただきたい。」

この投稿は反響が大きかったらしく、お返事の投稿の特集が組まれました。
ただ、私は感銘を受けた記事、考えさせられた記事はコピーしてスクラップをしているのに、
この特集のコピーはしていないので、そこに腑に落ちる投稿はなかったものと思われます。

16日の新聞には、歌人の穂村弘さんがこの投稿への考えを寄せていました。
「あなたの『世界』を変えるかも」というタイトルで。
この記事はコピーしました。心に残ったのです。
(興味のある方は朝日新聞の4月16日版の読書ページをお読みくださいませ。)


「私たちがひとつの共通の世界に生きているというのは錯覚で、
本当は一人一人の内なる世界像を生きているに過ぎないんじゃないか。
そしてどうやら言葉はそのことに深く関わっているらしい。」
「人間は言葉の介在無しに世界そのものを直に生きることはできないんじゃないか、と。」


この文を読んで、私は遠い昔に「名づけることは創造すること。」
という哲学的な考察をなにかで読んだことがあるのを思い出しました。
それが哲学書であったのか、詩であったのか、あるいは言語学の書籍だったのか覚えがありませんが。

穂村弘さんは、「誰にも会わず一言も話さない日でも、
私たちは心の中で無意識に言葉を使っています。それなくして生きることはできない、と思えるほどに。」
と言います。そしてそんな言葉で綴られた本だから
「楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であり、読んでも読まなくても構わないのではないか」

という問いに頷くのは躊躇すると。

さて、これからが本題なのですが(前置きが長すぎましたね)、
元夫は文学部に進学して歴史の教師になりたかったそうです。
が、文学部に進学を希望したお兄さんがお父さんに猛反対されて経済学部に進学した経緯を目の当たりにして、
自分も文学部進学を諦めたようです。

元義父は突然何を思ったか、文学部出身の私に向かって「文学なんてくだらん!」と暴言を吐いたことがありました。
それほど、この世は経済第一、という人でした。

いま私が食費を1日につき50~100円アップしようとして、
さてそのためにはどこを削るかと四苦八苦していることを考えると、
お義父さんの考え方は正しかったのか?と思えてきます。
「お義父さま、教養は心を豊かにします。」というのは、青二才の考えではないのかと。

第一、私ははたして心豊かに生きたのでしょうか?
元夫のDVと金銭感覚のなさに苦しみ、仕事と育児と家事とDVの対応に心は疲れ、荒れすさみました。
繊細さは、世の中を渡る障害にはなっても、助けにはなりませんでした。少なくとも私の場合は。

我が家にはたくさんの蔵書がありましたが、子どもたちが手に取ることはありませんでした。
暴力を振るう父親と、それに怯えて諾々と従うだけの母親を尊敬できなかったのでしょう。

私に必要だったのは文学でも、絵画でも音楽でもなく、
要領よく、かつ、したたかに世間を渡る術を身につけることだったのではないでしょうか?

どなたか、こんな私を論破してくださいませんか?

注)青文字箇所は、16日の朝日新聞「あなたの『世界』をかえるかも」からの引用です。

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